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仕事と生活  日々之楽 発見の楽しみのあくなき好奇心 そして 知るだけ知ってから 終わりたいとの欲望                人 モノ 地球 時 駆け巡る 思いのたけ 

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神戸の幸せ散歩               ACADEMIA BAR  & 都会の温泉

神戸デパート出店2週間興行 11月7日終了

何処か遠くに行きたい とは思わないけど
知らない街を歩いてみたい


出張とはいえ旅は旅
知らない街を歩いて 何か発見するのは楽しい
そんな神戸散歩の話です


発見したのは文化財的酒場であり
神戸の温泉、有馬温泉のみにあらずだ

台風が来るというの前の日の土曜日。
土曜日の神戸元町南京町のホテル代は異常に高く
同じ部屋の値段が倍以上にもなるものだから
何処か安いところはと探すのは
そうそう景気が良くない 行商人の常識。

で探したら 神戸クアハウス 
カプセル泊といえども
大浴場があるなら 10日間の疲れを癒せるものと 泊まる事に。

仕事後、旧居留地に有る大丸百貨店から 三ノ宮を抜ける
お店がなんか 不思議なおしゃれ加減。

旧居留地大丸百貨店


三ノ宮にて1

途中で、何故か見つけてしまう おいしい屋台。
丸に社 と書かれた餃子屋。
うまいんだなあ私。
知らないところでおいしい物見つけるの

薄ーい羽のついたパリッとした餃子
そして 塩焼きそば。 
チラッと 駐車場の影にあった屋台の中で食べている人たちの表情を見て
なんとなくピンときて入ったら当たりのおいしさ。
飲み物が フリーの麦茶とはいい。他のところではワンドリンク制の餃子やだったし。

神戸餃子屋社領やきそば

神戸餃子屋社領1


お腹を満たして 地図アプリ片手に歓楽街をぬけて
ガールズバーのおなごやら 高級料理屋などを観察しながら
歩く事20分。

やたら長い 普通の6っ分ほども有る歩道橋にの昇ったら
向こうに神戸クアハウスが見えてきた。

その前歩道橋の袂にはお地蔵さんと石碑。
水害復興記念碑

12

長い長い歩道橋。こんな歩道橋って渡ったためしがない。

と驚いているところで 階段を下りたらもっと驚いた。
なにやら古げなパン屋と その隣に・・・
モチャモチャ につたの絡まる 怪しげな灯りの漏れる家屋・・・・

アカデミーBAR神戸


bar1.jpg


旅の面白さはこんなところにあったりする
 
思わず先を忘れて たたずんでしまう私は 夜は暇な旅人。
パン屋はしまっているけれど
怪しい灯りがともる木戸。なんだかBARらしい。

お酒を呑まない私だし 一人だし おばさんだし BAR一人で入った事ないし・・
と 考えていたけど SINCE1922 の文字に 入らないではいられない何かにひかれ
扉を開けてしまった。

山小屋のような梁のある 薄暗い店内には
扉の横にピアノ と なにやら大きな壁画と
背後に沢山の酒瓶を並べた向かいのカウンターにはハンチングを被ったのマスター   
そして カウンターの端に若い男性がいて
音楽だけが流れる 静寂が 

アカデミーBAR 3

bar3.jpg

bar2.jpg


あーーーーん。 なにこれーーー。
戸惑いながらカウンターに座る私にマスターから「なんですか?」
と声をかけられたので『お客です。私」と答えた。
「いや 何呑みますか?」
「えーー?  何がいいでしょう」
変な客をしてしまった。だってお酒飲むの止めているのにBARに入ったのだもの。

マスターが作ってくれたウイスキーソーダ? をチビチビ呑みながら
話すすべもなく  カウンターの目の前にズラリと並ぶ本から 「酒場の絵本」というのを手に取ったら
最初に書かれていたのがここだった。

ACADEMY BAR

古い戦前はともかく 戦後から高度成長期の日本の 男たちの幻影のようなものを感じる。
次に手に取ったのは 
日本中の「いいBAR」とマスターについて感謝の気持ちで書かれた本。
お世話になったと書いてある世界は 著者もまたお世話をしたであろう、昭和の時代の野心と向上心と誠実と人間味の匂いがした。
そして ここは戦前から著名な文人たちがたまり司馬遼太郎も「ハイカラ文化財」と言い及ぶ
秘密の穴倉のようなところと知った。
戦後の日本を作りあげた父たちの世界に思いをはせながら読んでいたら

そーっとマスターが声をかけてきた。 「その本を書いた人はね。。。」
それから いろいろな話をした。 
一杯のウイスキーソーダと静かな音楽で。
震災時の事
船をめぐる話
昭和の男たちの事

私がここに入ったのは すぐ向こうの神戸クアハウスに行くためだといったら

あそこはいいよ。 本当の天然温泉だと話してくれた。
震災の時も機械が直ったら開放してくれて とても助かったし
今でも仕事の後に行くと 肌は つるんつるんだよ。

一杯のグラスを飲み干した頃 
神戸の秘密を見つけたような気持ちで一杯
時空を超えた空間で満ち足りた時間をいただいた。

「天然温泉」神戸クアハウスは 
なんと 36度の沸かし湯とはいえ 重曹泉 硼酸泉と都会の中の本格温泉
神戸に仕事に行ったら 一度は行ってみてもいい。
狭いカプセルも 何の お風呂にじっくりつかったら せっかく装備されているパソコンもテレビも無用で
携帯を充電なんかしながら 私もしっかり充電睡眠

翌朝帰りにBARの前を通ったらマスターが台風対策でお店のケアをしていた。

アカデミーBAR4

加納町交差点上から

何の情報もない中で ただ臭覚をひくひく 利かせて歩く 旅は本当に面白い
仕事は そこそこ
朝は 元町まで行く途中の道すがら
生田神社によって おまいり。
スポーツ少年が熱心にお参りをしていた。錦織に続きますように!なのかな。

生田神社高校生

生田の森
生田神社

アカデミーBAR神戸

神戸一帯は かつて生田神社の所領だったので「かんべ」=「神戸」といわれたと知った。
六甲山を背にいただき 海を前にした神戸は 本当にいいところだ。
朝食には星乃珈琲 でスフレパンケーキ
スタバはいつでも入れる

仕事をしながら 旅をするありがたさに 感謝
明日11月7日 2週間の小さな興行は終了。
来てくださった方々ありがとうございました。
豊かな気持ちをくれた神戸に 感謝です。


アカデミーBAR神戸
神戸加納町大歩道橋市外復興記念碑
神戸の温泉クアハウス

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  1. 2014/10/07(火) 01:36:56|
  2. 神戸
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  4. | コメント:0

 「これだから やめられない大人の一人旅」 谷井成吉 著 KINDLE版    本の紹介です

ウズベキスタンの古都ブハラの駅で日本人の青年に会った。
上海からパリまで旅をする途中だと言う。
同じ宿を取ったオバサンの私達は、若い彼の旅の達成を祈って祝杯をあげ、安全を祈って別れた。
その後、カザフスタン、グルジア等を周り、彼のシルクロードをつたう旅が達成された知らせを受けた。

ここで、ご紹介する本は、そんな若者の旅の本ではなく、ビジネスマンが、忙しい仕事の合間をぬって「尺取り虫」スタイルで時間をかけて幾度もの旅を重ねてシルクロードを西安からローマまで旅をした記録の本です。
ですから著者は初めにサラリーマンが如何に時間を作り旅を実行に移すかから書き始めています。
如何に資金を作るかは書いては無いけれど、ひたすら仕事をこなす事こそその秘訣なのだろう。

食べ物の話から展開される異国の話は、その地の食を楽しめない者に旅人の資格無し的な釘を刺して最初脅されるけど、中国の遺跡からイスラム教の国を経て、古代キリスト教の国からローマにたどりつくころ、読者は旅人になっています。
人、市場、民芸、衣服、装飾に視点を置く女性の旅人である私と見るべき視点が又違い、それも面白い。
真面目な仕事人でありながら旅人であり、だから又逆も通用するのだろうか等と思って読み進めました。

実のところ高校の同級生の本で、贔屓目ではあるけれど、熱く、行動的で、批判精神旺盛な青年であった彼に25年ぶりに出会ってこの本の話を聞き、互の人生の旅路を知った。百聞は一見にしかずの「これだから辞められない大人の一人旅」一読をお薦めします。
以下クリック
これだからやめられない大人の一人旅

これだからやめられない大人の一人旅1
これだからやめられない大人の一人旅2




  1. 2014/09/07(日) 08:50:47|
  2. 旅人
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  4. | コメント:0

デング熱なら 私もかかりました。

デング熱ならわたしも罹りました。しかもデング出血熱。入院9日。
そんな話を。 facebookの再投です
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10153112095349622&set=a.10150324457269622.408839.599839621&type=1&theater

アジア方面への旅が仕事の内の私にとってリスク確率の高い病気。
13年前。ちょうど50歳の時
タイのバンコク→チェンマイ→インドネシアのウブド→クタと回って帰国した翌日。
いつになく元気に帰ったなあと思っていたのに体調不良で近くの病院へ。
風邪と疲労 と言われ点滴をして帰宅。 
その夜あまりに赤い顔でフウフウ言っている私を夜中に夫が これはおかしいと車で救急病院に運んでくれた。
相模原共協同病院へ。
赤痢か マラリアか ととりあえず渡航歴のある私は個室に隔離される。

その後判明したのがデング熱 しかも デング出血熱。
幸か不幸か 当直の医師がインドネシア帰りで 喜んで治療に当たってくれた。
熱は40度がなかなか下がらず その後皮下に出血。
仕事を抱えていた私は早く退院したいといったが
出血の写真とらないと 退院はさせない 等と冗談を言いながらも先生は熱心に治療してくれた。
熱が下がり フラフラしながら仕事が心配な私は申し出て退院。
夫に車で送り迎えしてもらいながら日本橋の百貨店まで通った。
暫くは油濃いものは喉も通らず、弱っていたものの元気に。
調べてもデング熱は、ほぼ死亡には至らなく、インドネシア、タイなどでは稀に子供が亡くなることがあると言うことだった。
その時は二度目の感染で最初は気づかず終わったのだろうとも聞いた。
高熱は直ぐには下がらず、暫く点滴で生きていた。
当時私の認識では、戦時中に南方に行った兵隊がジャングルで悩まされた病。ジャングルの中で発病した兵士はどんなに辛かったであろうと思った。

ちょうど半世紀50歳の誕生日を迎えていた私は、バリ島ウブドの素敵なコッテージに宿をとり、バンコクで入手した骨董の仏像を窓に飾って一人で祝った。
その時、蚊取り線香をたくさん焚いた覚えがあるが、潜伏期間は4-7日とのことで、チェンマイで感染したのかもしれない。

当時日本では発生の可能性は思いもしなかったが、13年の気候の変化は大きいのか。

バリ島で発病せず、帰国してからの発病は、入手した仏陀のご加護と勝手に思うことにしたけれど、たまたま行った救急病院の当直医がデング熱をよく知っていたこともご加護だったのかもしれない。
あの時の私の症例が少しでも研究の糧に、なっていると良いと思う。
基本的にパニックになる事など無い感染症なのに騒ぎが大きすぎる気がする。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/デング熱


(編集追記)
まるで見えないお化けに対する恐怖心をかきたてる報道に違和感を感じて私の重症例の体験を書きました。しかし反響が大きいので追記です。
医療機関の周知徹底と適切な早期の治療があれば決してパニックにに陥るようなものではないと思います。蚊に刺されないような対策は常日頃と同じであり、とりわけ東南アジアへの旅では虫除け対策は通常にやれば良いことと思いました。
もっと怖いものを知らせず、デング熱への恐怖を駆り立てるのは如何なものかと思います。

デング熱の免疫性について分かった事

デングウイルスは、日本脳炎ウイルスと同じフラビウイルス科に属するウイルスで、やはり蚊(Aedes aegypti)によって媒介される。4つの型(1型、2型、3型、4型)に分類され、たとえば2型にかかった場合2型に対しては終生免疫であるが、6ヶ月もすれば他の型に感染する可能性が出てくる。この場合、DHF(デング出血熱)になる確率が高くなるといわれている。そのため、型別も含めた実験室内診断が重要である

世界で年間一億人が感染し内、25万人がデング出血熱になるとの事。
国立感染症研究所ウイルス第一部第2室のデータによると この年2001年感染症研究所にかかりデング熱と診断されたケース34例(渡航帰国者)
国立感染症研究所ウイルス第一部第2室のホームページより。
http://www0.nih.go.jp/vir1/NVL/dengue.htm

  1. 2014/09/02(火) 09:02:19|
  2. デング熱
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  4. | コメント:0

信じて進む。駄目な物はだめ。

憲法違反で逮捕されることはないのか・・・
サルコジ仏前大統領の昨日をみて
そんなことを考えてしまう。
秘密保護法制定によって空気が変わった
後もどりない時代 世界の混沌は現実としてあっても 
人の平穏と 喜びの日常を維持し守れる事を 信じ続ける。

アフガニスタンからの写真 風船を喜ぶ子供達の顔が見たい

アフガン平和

 
中国に 「官政策 民対策」 という言葉があるそうだけど
 これからも 言いたことは 言っていこう。

そんなこと考えながら マミランドのイベント「たった一つの日傘作り」の為にサンプル作りの昨日。
秘蔵の銘仙の着物をといて 傘にした。いとおしいな。

日傘

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  1. 2014/07/02(水) 07:50:50|
  2. ニュース
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細やかな喜び

梅雨の日の雨上がり。
そう遠くないところにとてつもない雹が降ったとは知らず。

20140625003822b4d.jpeg


鉢植えの捻りばなやっと咲きました。
小さな芽から育って。
最近帰化植物に占領されて、メッキリ近所見かけなくなってしまいました。

子供の頃見つけると宝物を見つけた気持ちになったお花。
娘が子供の頃は私が好きなのを知って「おかあさ~ん」と摘んできてくれたはな。
従姉妹が鉢にして持ってきてくれてやっと咲きました。


  1. 2014/06/25(水) 00:16:19|
  2. 未分類
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